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Pierre Chareau

1883 - 1950

ピエール・シャロー

フランス・ボルドー出まれ。

当初は、絵画や音楽などにも 関心があったものの、パリのEcole des Beaux Arts ,ENSBA (国立高等美術学校)で建築学を学びました。1908 年に卒業後、シャローはパリに拠点を置く英国の家具会社に勤務し、その後、小中規模のインテリアプロジェクトを数多く立ち上げました。シャローが最初に完成させたプロジェクトの一つである友人の Jean Dalsace博士の書斎 / 寝室のデザインは、パリのSalon d’automneで展示され、その後、ダルサース博士は自邸の設計をシャローに依頼しました。これが彼の代表作となる「ガラスの家 / Maison de verre」の誕生でした。シャローの作品の特徴は、当時としては珍しい素材の組み合わせでした。彼は家具、照明、建築デザインに対してモダンなアプローチを取り入れ、 マホガニー ローズウッド、アラバスターといった自然素材に、金属やガラスといった戦後主流となっていた工業的な産業資材を組み合わせました。また、円形や多角形のフォルムが革新的な照明作品も高く評価されました。

 

1930年代は、ファシズム、反ユダヤ主義の台頭、後の第二次世界大戦の勃発によって、ユダヤ人の芸術家、建築家、クライアントの間の絆が強まり、多くのコミュニティが生まれました。ガラスの家をはじめ、シャローのクライアントの殆どはユダヤ人だったと言われています。

 

1940年にナチスがフランスを占領した後、自身もユダヤ人だったシャローは、家族を連れてアメリカに亡命をしました。 ジャン=ミシェル・フランクとならび、シャローはナチズムの脅威から逃れなければならなかった最も有名なフランス系ユダヤ人デザイナーの1人とされており、この出来事が、フランスで順風満帆なデザイナーとしてのキャリアを送っていたシャローの人生を大きく狂わせることとなります。

 

これまでの功績諸共、ナチスによって追放されてしまったシャローは、自身が保有していたモンドリアン、ピカソなどの作品を売り払い、ニューヨークでデザイナーとしてのキャリアの再構築を図りました。近代美術館(MOMA)などに個展の売り込を続けましたが、当時の政治的影響によりまったく相手にされることなく、1950年に志半ばで人生を終えることとなりました。

 

戦前、戦後のモダニズム建築史を語る上での最重要人物でありながらも、フィーチャーされることが少なかったピエールシャローの作品は、美術品オークションカンパニーのSotheby’sニューヨークのThe Jewish Museumの尽力によって、現代で再び脚光を浴びることになりました。 シャローの苦難な人生から約60年が過ぎた2016年には、アメリカのThe Jewish Museumでシャローの念願だったアメリカでの個展が開催されました 。 単にこういった背景があるから注目されたのではなく、シャローの作品のデザイン性と理念も高く評価されています。

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